国際・地球温暖化問題に関する調査会
平成19年12月05日
○喜納昌吉君 山崎先生に、その日本の文化の、国民性を、特殊性ではなく、国際的、普遍的な性格に重点を置いて説明するというのがあるんですけど、日本のその国民性の特殊性と国際的な普遍性のその断層を結ぶものはあるのか、それを聞きたいのが一つね。
それから、北岡先生には、一つは従軍慰安婦問題であるとか南京虐殺問題、それから沖縄集団自決問題、それから言わば拉致問題も含めて、日米首脳会談の陰の主役は中国であったかもしれないという形で、その東西の懸け橋にするためには、この歴史的トラウマ、アジアが持っている歴史的トラウマね、あるいは民族的トラウマをどういう形で乗り越えるのかを聞きたいですね。
それから、磯村先生には、文化発信、日本人はなぜ発信が下手であるかという点を、ブロークンイングリッシュがパワーを持っているという、それならばブロークンジャパニーズね、それとどういう感じで、一つの大衆文化ということなんですけどね、私は音楽家ですから音楽からその言葉を見ていくんですけど、その辺はどういうお答えなのか聞きたいですので、よろしくお願いします。
○会長(石井一君) どなたからお答えいただきますか。はい、順次、山崎参考人。
○参考人(山崎正和君) ちょっと御質問を聞き落としたというか、耳が悪いので、申し訳ありません。普遍性と何をつなぐものとおっしゃいましたか。
○喜納昌吉君 日本人が持っている特殊性と、特殊性、文化ね、それからその国際的な普遍的なものとには必ず一つのブリッジがあると私は思うんですね。その断層をどうして埋めるのかね、そこに文化運動があると私は思っていますけどね、これを聞きたいと思います。
○参考人(山崎正和君) 何であれ、物事はいろいろな角度から見られると思います。日本人の国民性とか、あるいは日本文明の特性というものについても、それを殊更に特異なものとして、世界の中で善かれあしかれ違うものとして光を当てて、それを日本人が発信するか、あるいは同じ現象であっても、つまり日本文明というものを同じく対象としていても、世界と共通するもの、普遍的な要素に光を強く当てて説明するかと、その選択の問題を申し上げたわけです。
もちろん、できるだけ実情に対して忠実に、つまり正直に語ることは大事ですけれども、しかし、正直といいましても、どの角度から見て正直なのかということは常にあるわけでございますね。一時期、例えば日本の経済発展が著しかったころに日本的経営という言葉がスローガンになりまして、これは、日本が例えば労使協調がうまくいっているからとか、会社の中の年功序列制で人々が安心しているからであるとか、まあまあそういったいろいろな、これはすべて日本の和の精神である、伝統的な和の精神が現代の経済発展を生んでいるんだというふうに説明したわけですね。
しかし、私は、そういうことを言えば、それでは、日本でない国々がアジアの中でも大変な速度で成長してきたことをまず説明できなくなりますし、あるいは発展に困難を感じている国々は日本というのは嫌なやつだというふうに思うかもしれないわけですね。そうではなくて、日本人がやってきたことというのは実はごく普通のことであって、特に日本人に和の精神があったからというのではなくて、例えば、例の企業におけるクオリティーコントロール、それも、しかも現場でいろいろと職員たちがあるいは生産者たちが心を配っているということは、実は元はアメリカの思想なんですね、QCという。
ですから、それを日本人は上手にやりました、日本人が上手にやれるんだから世界じゅうでやれるはずですと、私たちの経験をお伝えしますと、こういうふうに同じことを説明すれば、ああそうか、日本人というのはおれたちと同じ問題を抱えて、同じ人間で、しかしちょっと努力したんだなと。そのちょっとのところに感心してもらえるだろうというのが私の考え方です。
○参考人(北岡伸一君) お尋ねの点は、私が言及しましたのは国際問題であって、かつ過去の問題について言及したつもりでございます。
拉致の問題は現在なお影響がございますので、ちょっと違いますが、私は、過去の問題は今の政治家が幾ら議論しても過去は変えようがないわけでございます。ですから、加害、被害関係があったら必ず被害者の方がそのことはよく覚えておりますし、共通のイメージに、理解に到達するのは難しい。それは専門家はよく議論をして、それを尊重するというふうにして、政治はすべからく現在と未来の問題に直接集中するのがよいのではないかというのが私の意見でございます。
○参考人(磯村尚徳君) 喜納先生の御質問がちょっと聞きそびれたんでございますが、ブロークンイングリッシュが……
○喜納昌吉君 ブロークンイングリッシュというのがあるならば、ブロークンジャパニーズもあると思うんですよね、沖縄の言葉でね。そういう一つ、そこから生まれてくるこのエネルギーをどうとらえているのかね。
○参考人(磯村尚徳君) 私の感じでございますけれども、具体的な例を挙げさせていただきますと、例えば靖国問題とか、そういうものに関してフランスなんかで報道される場合、どうも、慰安婦問題も同様なんですけれども、日本側の言い方というのが非常にはっきりしない、メッセージがはっきりしないんですね。日本のやっぱり習性として、はっきり言うことは損に決まっているので、大体わざとぼやけて言ったり、しっぽをつかまれないような発言をするということをあらゆる分野でやっておりまして、それが習い性になって、日本人は何を言っているか分からない。
例えば、テーベーサンクというフランスのテレビが靖国問題のあれをいたしまして、解説をいたしまして、そしてフランス人にインタビューをしているわけですね。例えば、記者が質問するときに、あなたはってフランス人に対して聞いているわけです。あなたは、例えばドイツの首相が、メルケル首相が、メルケルさんじゃありませんでしたけれども、前の首相ですけど、首相がヒットラーの祭っている神社へ行って頭下げたらどう思うか。そうすると、日本の大使館の広報も困りますね。東条とヒットラーは違うというような議論にまで、それこそ大使館としては踏み込めませんから。あるいは南京虐殺事件、三十万、三十万というのがずっと通っていますけれども、それに対する日本大使館の答えというのは、三十万という数字に必ずしも根拠はない、そんなに多くないかもしれないというような返事しかできないわけです。そうすると、もう一般的に与える印象としては、日本はただ逃げ回っているだけで、クリアなメッセージがなくて、そして英語だけ聞いたりフランス語だけ聞いていると、ちょこっとした発音は何か気取っていてきざだけれども、しかし何言っているか分からない。
つまり、先生の御質問の、クリアなブロークンイングリッシュという意味は、英語の発音が下手でも、バルーディというサウジアラビアの代表が言っていることはメッセージがはっきり聞き取れるわけですね、何を言いたいかが。日本の代表の場合は官僚、政治家を問わず、なかなかそのメッセージがはっきり伝わりにくい。つまり、そもそものメッセージがはっきりしていないと。つまり、それが先生のおっしゃるブロークンジャパニーズじゃないかと私は考えるわけです。
○喜納昌吉君 ミュージシャンで、特にサザンオールスターズの方々の歌い方が非常に英語的な日本語でしょう。そういうものとの関連性はないですか……。
